噴火する、しないと言われている富士山。
映画 『夢』 (1990年、黒澤明監督) でも 『日本沈没』 (2006年、樋口真嗣監督) でも、その噴火した姿を見せた富士山であるが、
現在、富士山が噴火するかもしれないという可能性を踏まえたうえで、避難するか留まるか、一人ひとりがその生き方を決めてゆく、ことだと思う。
小学校唱歌に 『富士は日本一の山』 という歌があったが (タイトルは『
ふじの山』というらしい)、
私たちは幼い頃から富士山の崇高な美しさと、それが象徴する日本の精神性とを教えられて来た。
昔、山本富士子さんという名前の女優がいたが (古い話ですね)、
小学校の同級に富士子さんという名前の少女がいた。
家族旅行に立ち寄った地方のみやげ屋や農家に、必ず富士と桜の絵が飾ってあったりしたが、
そういうものを見ると何やら気恥ずかしい気持になったものだった。
上京して東京に住むようになると、何度か富士山を訪れる機会があった。東名高速で日帰りが出来たからだ。
富士山の5合目まで車で登って、そこから眺めた雲海のこの世のものとは思えない光景に呆然としたこともある。
友人が亡くなった時、その葬式でしきりにそこで眺めた雲海が見えて来るのであった。
しかし、その時を最後に、富士山は私の意識からすっかり遠のいて行った。
さて、日本から突然この国にやって来て、そのまま私は鉄砲玉になってしまったのであるが、
過去記事でも触れたように、語学アカデミーの外国人コースに入学し、1時間の授業のために残りのすべての時間を復習予習に費やしていた。
薄汚い街々、無作法な人々、等々といった印象はあったが、各印象に長く留まることもなく、従って深く考えることも、悩むこともせずに、ただ言語の習得のみに没頭した。
日本での私は既になく、この国に来てからの私は未だになかった。
頭が真っ白な状態でも普通に生きられるのだ !
喜怒哀楽の感情もなく、ただ感覚だけで、事物に反応した。
外界の事物には反応していたのだから、異常を感じさせるものは何ものも私にはなかった筈だ。
当時の私を知る人たちには、私は単なる無口な人、少しぼんやりしているが、人畜無害と分類されたことであろう。
私はいつも人畜無害だった。
“家具” のようなものだった。
目には入るが、心を持った生き物とはみなされなかった。
あるいは透明人間だった。目にも入らない。
心は誰にも打ち明けなかったので、私の中で何が生起していたかなど知る人もなかった。
そうこうしている間に、仕事がみつかった。
これで晴れて当国に居住が可能になった。
天の配剤、そのように理解した。
その辺りの詳細は省くが、当時は今とは別の時代の話である。
今の無謀も当時は無謀でもなく、今の不可能も当時は日常茶飯事ですらあった。
依然として私自身の中に深い断絶を抱えながらも、働きながら、少しずつ人心地を取り戻して行ったものと考えられる。
断絶というのは、具体的には、日本での古い私と、この国での新しい、赤子のような私の断絶である。
この2つは全く接点がないように感じられた。
自分では、まるで二重人格のように感じられた。
古い自分を思い出すのが苦痛だった。新しい私だけで一からやり直したかった。
だから帰国はおろか、休暇の一時帰国すら拒んで暮して来た。
そして、3年近くが過ぎた。
この国に友人が出来た頃だったと思う。
人々とはトラブルもなく、概して仲良く暮していたが、友人が出来たのはここに来て以来初めてだったのではないかと思う。
その頃に、1度帰国しなければならない必要性が生じた。
労働許可証とか、何かそのような必要性だったと思う。
初めての帰国に不安や期待や、その類のものを感じていた筈だが、それはよく覚えていない。
どんな気持で機上の人となったかも覚えていない。
たぶん少し緊張もし、メランコリックにもなっていたものと思う。それが当時の私の常態でもあったからだ。
当時の飛行機の旅は、経由地での乗換えも含めてまる21時間も要した。
こんなに遠い国によくもまあやって来たものだと感じ入ったものだ。
夏休みのハイシーズンだったので機内は混雑していたが、窓側に座席を獲得した。
機内では何をしていただろうか? 記憶にないが、私のことだから読書か書きものか、あるいは何らかの学習に没頭していたものと想像される。
日本の上空にさしかかった時間は何時頃だっただろうか?
よく覚えていないのだが、確か夕方だったのではないだろうか。
自分では思いがけないことであったが、ああ、これが、私が生まれ育った日本の大地なのか、という感慨がこみ上げて来るのを禁じ得なかった。
窓側席から見える景色を食い入るように見詰めた。
その時、飛行機はどういう訳か、旋回し (旋回したように思う)、その時に私の目前に広がったのが富士山だった。
窓一杯に広がった、崇高で孤高な富士山の姿だった。
何かが私の中で壊れたような、溶けたような、何かの込み上げが咽喉から上がって来た。
それはまるで、富士山の繊細で雄大な姿態と、富士山が象徴するもののすべてに私の身体が反応しているかのようだった。
気が付いたら泣いていた。
これまで気付かなかったことだが、日本を出て以来、初めて泣いた。
飛行機を降り、列車に乗り換えてから故郷に至るまでの数時間、泣き通しだった。
あんなに泣き通したのも、これまでの人生で初めての経験だったが、
たぶん、あの時のあの富士山体験が、古い私と新しい私の融合をもたらす契機になったように思う。
- 2011/04/14(木) 01:53:08|
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