私が日本にいた20代には、生きるのが苦しくて、料理も、日々の食べ物すら疎かにして生きていた。
1人で外食など出来ないたちだったので、下宿先で何かしら作って食べていた訳だが、さて何を食べていたのだろう。
俄かには思い出せない程食を軽んじていた。
常に他のことが私の頭を占めていた。
当地に来てからしばらくの間は貧困生活を余儀なくされたので、食事は簡単至極で、むしろ楽チン!
日本で言うバゲット(フランスパン)にタマネギとトマト、時にチーズを挟んで食べていた。
それだけで数か月も暮したと思う。(笑)
結構何だっていい人だったのだ。
その後職業を得てすっかり当地に定住してからは、炊飯器も買って、一汁一菜くらいは作っていたようだ。
もともと肉は嫌悪していたので、肉料理は全く作らなかったし、食べなかった。
魚も触りたくなかったので、魚料理も作らず食べずだった。
栄養素のことなど考慮に入れなかったが、今思えば冴えていた。(笑)
とは言え、そのうち日本のインスタント何とかの素とかの、便利が落とし穴のホロコ食品に手を出すようになった。
全然冴えてない。(笑)
それらが長年の間に私の身体を蝕んで行って、いつしか身体にぽんもどきを蓄えてしまっていた・・・
今思うと、ぽんもどきくらいでよかったのだけど、当時は何も知らず、
どこかへん、何かおかしい、
で、そんな時にタイムリーに甲田式半日断食に出会い、
実践してみたのだけど、なぜか一定以上の効果がない。
朝食抜きのヴィーガンになったものの、望むような成果をあげず、
体調はあまり好転しない。
なぜか?
ただ痩せるだけは痩せたが、ダイエット目的で始めた食事改革だったのではない・・・
新谷弘実『病気にならない生き方』
山田鷹夫『不食』
等々を読んで感動し、
マクロビオティックとかゲルソン療法なども調べた。
オメガ3の油やオメガ9の油とかも知って、
それぞれのレシピをじっくり眺めて苦労して料理してみたり、
色々やってみたのにうまく行かない。
そもそも料理がムズカし過ぎた。
料理の基本がなってないものだから、レシピを見てもアイデアが湧かず、ちんぷんかんぷんだったのだ。
料理のために半日も費やして、それなのに好ましい結果が伴わず、
美味しくもなく、身体もいまいちで・・・
途方に暮れるばかり、
迷いが深まるばかりだった。
私の身体が好ましいリアクションをしてくれない・・・
そんな時に出会ったのが、ローフードダイエットだった。
ナチュラルハイジーンというものがあることも知った。
さらにフルータリアンという生き方があることも知った。
(昔、オバタリアンという流行り言葉があったが)
またまた目からウロコ!
私の行く先の所々で、次々と面白いものに出会わせてくれた方、ありがとう!(笑)
そして、今度のものは、料理オンチの私にはピッタリの生き方!
(私としては奮闘努力してみたけれど、料理はついにだめだった・・・)
しかも今度こそ私の身体が喜んでいる体感がある!
まず食餌をローフードに転換したのが2週間程前のこと。
それと同時に4年来続けて来た半日断食も(当座は)やめてみた。
今の食餌は以下のようなもの。
朝 クダモノ(単品)
昼 ニンジンとリンゴのジュース
昼過ぎ クダモノ+生ヤサイ
夕方 クダモノ+生ヤサイ
果物と生野菜だけ。(笑)
ドレッシングもなし。
正真正銘、そのものズバリの果物と生の野菜!
これならば料理オンチの私にも作れます!
当初はオメガ3とか9の油をドレッシングに使ったりしてみたが、今はそれもやめて、ヒマラヤ岩塩とリンゴ酢を少々かけるだけ。
というのも、油が私の消化を困難にしていることにようやく気付いたからだ。
それまでは、むくみや視力の減退等々、様々な障害を感じていた。
ぽんもどきはもうすっかりよくなっている筈なのに、胃のつかえ感がなくならないのはなぜなのか理解出来ず、途方に暮れていた。
まさか油のせいで、摂取した栄養が細胞の隅々に行きわたらなかったなんて、考えもしなかった・・・
油をやめた結果、野菜そのものを味わえるようになったうえ、消化不良の問題が改善されたのを身体で感じる。
まだ2週間くらいでは性急過ぎるけれど、どうやらこの道でいいらしい、と、ようやく思い始めた昨今です。
- 2012/05/10(木) 04:20:41|
- 食
-
| トラックバック:0
-
私が敬愛する為清さまの新着記事を転載します。(転載開始)
では、何をすればよいのか?
陰謀を知っても「無力な私には何もできることはない」と思っている人のために、当サイトや訳書で私が伝えてきたことを一枚の図にまとめました。
どうすればいい? 何ができる?
そろそろ覚醒する人が増えないと冗談抜きでヤバイ状況ではないかと危惧している方は、友人・知人などに配付していただければと思います。
(転載終了)リンク先のPDF を見て頂ければおわかりのように、非常に簡潔に、わかり易くまとめられています。
自分は無力だと思い込んでいる皆さん、あるいはご家族に、お友達に、これを印刷して配布、拡散して頂きたいです。
こういう私めは、レプティリアン語に翻訳してレプィリアンの同居人に説明してやろうと思っていますが、(笑)
さて、どんな反応を示すことやら、興味津々。
アスペであろうと、ぽん持ちであろうと、風に吹き飛ばされそうな超痩せっぽちであろうと、
(最近は強風の日が多いのですが、汗)
まだまだ色々ありますが、これはこれとして、めげないで、
私はいつも目をキラキラ輝かして生きています。
人生はそうと決めれば楽しいことで一杯!
なぜなら私の想念がそれを選んで、私の現実をそのように創造しているからです。
ところで、レプティリアン国での布教、
やり甲斐ありそう・・・
- 2012/05/09(水) 00:43:38|
- 情報拡散
-
| トラックバック:0
-
今日はエックハルト自伝 5/7の紹介です。
ゆっくりのペースでしたが、これで全編揃ったことになります。エックハルト自伝 5/7
(書き起こし開始)
何かを買いたいという衝動は滅多にありません。
きれいなものを見るだけで満足してしまうのです。
ですから、お金で何を買おうという気がありません。
ですが、スピリチュアル・センターを作るかもしれません。
そうなれば、著書の売り上げをそこに注ぐことになります。
はっきりとした計画はないですが、そうした流れを感じます。
質問者) 多くの人が、あなたに何かを求めたり、賞賛したり、グルに祭り上げようとしたり、そういった動きがあると思われます。
どう対処していますか?
以前は、私に会いたければ、電話して会いに来ることができていました。
本が出てからは、電話は鳴り続け、そうした会い方はできなくなりました。
ある面で、少数の人たちと関っていた頃は、親しい交わりができる満足感がありました。
グループが大きくなってからは、それはほとんど不可能になりました。
しかし、私の教えは、以前より遥か遠くにまで届くようになりました。
ですからこれは、人生のどの状況とも変らないのです。
どの状況にも、何らかの制限は伴います。
教えが広まる前には、その広がり方は制限されたものでした。
満足感はありましたが、人数的には限定されていました。
今の制限は、人々が私に自由にアクセスできないことです。
人々と私の間に、数人の人を介さねばなりません。
実際的に、そうするよりありません。
何千通ものメールや手紙にすべて答えることはできません。
電話も同じことです。
個人が私にアクセスすることは、不可能ではないですが、困難になりました。それが制限であり、
不可能なことであるとして、ただ受け入れるだけです。
教えが遥かに多くの人に届いていることを知りつつ。
いまでもバンクーバーの少数の仲間と会うことがあります。
本が出る前から家に来ていた、古くからの仲間たちです。
20人くらいでリビングに集り、それは楽しいものです。
現在が提示するものに、降伏するかどうか、常にそれが問われているのです。
今ある制限が何であれ。
制限のない状況などありません。常に何かあるものです。
質問者)
あなたの教えは、なぜ今、多くの人々の共鳴を得ているのでしょうか?
私の教えで用いる言葉は、単なるポインターにすぎません。
哲学的説明ではありません。
そして比較的中立です。
古代の教えのような、何世紀にもわたる過去の重さを持たない言葉です。
その点で、文化的条件付けがありません。
ニュートラルなゆえに、人の文化的背景に左右されないのです。
宗教を持つ人であっても、オープンな姿勢であれば受け入れられます。
私は、どの宗教にも深い真理があることを否定しません。
ですから、Power of Now では、仏教、ヒンズー教、キリスト教の言葉を引用しています。
また、宗教を全く持たない人も、教えを理解することはできます。
多くの人が共鳴した一つの理由がこれです。
もう一つの理由は、Power of Now がその中で示した意識の状態から書かれた点にあります。
内なる静寂と、受容性から生まれたのです。
書くことは、自然に起こりました。それに以前書いたものをまとめたのです。
とても強力な創造的衝動が、本を綴らせました。
ですから、本にはそのエネルギーが入っています。
不思議に聞こえるでしょうが、多くの人がそう言います。
この本を読んだ人は、単なる言葉としての情報価値を超えているというのです。
それで、何度繰り返して読んでも新鮮さが失われないと言います。
例え1〜2ページ読むだけでも、それによって「いま」に戻ることができます。
本の箇所がどこであっても、「現在」と内的に整列することを指示しているからです。
本を手に取って2ページも読めば、メンタルノイズが減速、減少するのを感じるのです。
そして、意識と注意を現在に置くことができるのです。
内なる平安を感じるのです。
それがこの本の内容なのです。
本と同様に、グループセッションでも同じ力が働きます。
グループセッションは、事前準備というものが一切ありません。
筋書きもなければ、その日やることや話すことの構想すらありません。
椅子に坐って口を開くまで、一体何を話すのかさえ知らないのです。
文字通り、それは、今という瞬間から直接出て来るのです。
なので、どんな言葉が出るかは、グループのエネルギーによるのです。
教師と生徒の間で相互作用が起きるわけです。東洋の古の言葉に、「教えは、師と生徒から生まれる」という言葉の通りです。
この教えに大きな力があるのはそのためです。
蓄積された頭の知識によるものではなく、
いまという一瞬から即時的に出るものだからです。
4〜5日続くリトリートであっても、事前準備はありません。
事前の構想というのが、全くないのです。
すべて、いまの瞬間から、有機的に生まれて来たことをします。
質問者) 最後に、少なくとももう一つ聞かせてください。
あなたはよく、明け渡すこと (surrendering)、現在に明け渡すことを説きますね。
また、苦しみ (suffering) を必要としない人もいるとも説いています。
明け渡しは、意志や要望を超えたものです。
明け渡すには何が必要でしょうか?
それには恩寵が要るのではないでしょうか?
それは、あなたが明け渡すというのではありません。
明け渡すとは、いまこの時をそのまま受け入れることです。
そして、苦しみはもうご免だと感じるまで、明け渡すことはできないでしょう。
また、あなたは、苦しみは自分が作っているとどこかで気付いています。
それは、今そうであるものに抵抗することで生まれます。
(終了)全編を読んでくださった方々、ありがとうございました。
- 2012/05/08(火) 04:19:26|
- エックハルト・トール
-
| トラックバック:0
-
今日はエックハルト自伝 4/7の紹介です。エックハルト自伝 4/7
(書き起こし開始)
世の中で活動する能力を一時的に失くしたとも言えますね。
世の中で活動する能力は少しずつ戻りました。
バランスはひとりでに回復されたのです。
世の中で活動できると同時に、存在にしっかりと根ざせる、
どちらも両立できるようになりました。
私が一時的に深く内側に入ったのは、広い視点で見れば、集合意識でのバランスを取るために
ある人々が 存在 (being) の中に深く入る 必要があるからだといえるでしょう。
ほとんどの人が、行動 (doing) の中に埋没しているのですから。
少数の人は そのバランスを取るために 深く存在に入るのでしょう。
個人として見ると、その人はバランスを崩したように見えるのです。
質問者) あなたはいつでも今のような性格です?
逆戻りしたり、欲求不満や怒ることはないのですか?
ありません。
私は現在に明け渡して生きています。
今起きることは何であれ、そこに存在し、
今起きている事と争うことは、無駄だと認識します。
感情が消えたわけではなく、人が苦しむのを見れば、涙も出ます。
しかし、その背景には、深い平安があります。
特に、人が、人や、動物や、自然や、地球に、
大きな危害を与えていることに涙することがあります。
しかし、深いレベルでは、いのちはタイムレス、破壊できないと知っています。
死はいのちの対極ではなく、誕生の対極に過ぎません。
ライフ(いのち)は形あるいのちを超えたもの、
ライフには、時もなく、不死であり、
現れの世界のすべての根底にある次元であり、
その次元は、一人ひとりの人間の中に、存在しているものです。
質問者) いま家族はありますか?
いいえ。
私の人生は、特に本を書いてから大きく変りました。
出版の前からすでに教えていましたが、
その本が急に売れ出しました。
一年程は口コミで広まり、次第にメディアに取り上げられるようになり、
販売に拍車がかかりました。
それにより、私の教えも勢いに乗って広がりました。
守られていた静かな、ほとんど隠遁者のような、外側の暮しが一変し、
講演依頼や面会依頼、招待依頼が世界中から殺到し出したのです。
初めのうちは、すべての招待に返事をしていましたが、直きに不可能となりました。
私の人生はほとんど公的なものとなりました。
集会も大きくなり、一回の講演の入場者は、米国平均が2000人です。
今は、外の世界とたくさん関わっています。
この状況は、私の意志で選んだのではありません。
もともとの性格は、内向的なものですから。
公共の場所では目立たぬ方がいいのです。
今はそれが難しくなりましたが、事実こうなっていることを受け入れています。
旅も多く、数年間活発に活動して来た今、少し仕事を減らすべきだと感じています。
5〜6年続いた外へ向けたサイクルが、
内に向けて収縮するサイクルに入った気がします。
その間に、新しい本が出るかもしれません。
このように、外側の暮しが一変したことを受け入れなければなりませんでした。
多くの人が、本や講演、リトリートなどで教えに触れたことは、すばらしいです。
多くの人がメッセージを受け入れてくれたことは嬉しい驚きでした。
本を書いている段階では (本が勝手に書いたのですが)、スピリチュアルな探求をして来た人のみがこの本を読むだろうと思っていました。
結果は、霊的探求をして来た人も、一度もそうした道を歩んだことのない人も、本に反応し、私への手紙の中で、彼らの人生が変ったと教えてくれました。
「この本はすごい」、
「何度も読み直しましたが、その度に新鮮です」、
「人生が、とても平安になりました」
経歴や教育背景に関わらず、本は多くの人の心に届いたようです。
高学歴の人にも、受け入れた人とそうでない人がいます。
知的レベルで言えば、難しい本ではありません。
また、誰もが本を受け入れたわけではありません。
友達に本を一部上げたが、全く興味を持たなかった、という人もいました。
数ページだけ読んで、理解できず、そのまま棚に入れてしまったそうです。
10年、20年後、棚から取り出して読むかもしれません。
内なる準備ができた時に・・・。
このように、多くの人が本を受け入れましたが、もちろん全員ではありません。
質問者) あなたの現在の状況ですが、成功し、世界中で本が売れて有名になりました。
多額の収入もありますね。それらにどう対処していますか?
私は、お金など、外側のことをするのは得意ではありません。
基本的には、この人生何も変っていません。
特に、それらを意識したこともないです。
私の注意は、ほとんどが教えや質問に答えることに注がれています。
家のスペースは、以前よりも幾分広くはなりましたが、ただそれだけです。
ですからほとんど変っていないし、自分でも気にしていません。
私は、人生の多くの時をわずかなお金で過ごしました。
おそらく、それは貧しさのさらに下のレベルと言えるでしょう。
しかし、一度も貧しいと思ったことはなく、いつもこれで十分だと感じていました。
いまの自分が、以前よりも豊かとは感じません。
今もその時も全く同じ感覚です。
なので、それは抽象的なことです。
外面的には、より多くの富が私の人生に集まりました。が、外的次元は、抽象真実にすぎません。
内側には全く影響していないし、外側がわずかに変化しただけです。
街に出て店を覗くこともありますが、
何かを買いたいという衝動は滅多に湧きません。
きれいなものを見るだけで満足してしまうのです。
(終了)
- 2012/05/04(金) 02:47:24|
- エックハルト・トール
-
| トラックバック:0
-
今日はエックハルト自伝 3/7を紹介します。エックハルト自伝 3/7
(書き起こし開始)
未来に生きようとすることで、概念としての現実に囚われたまま生きているのです。
その人にとっての概念としての現実の方が、常に直近の今である人生 (いのち) より重要なのです。
人生 (ライフ) とは、すべて、いま現在からできているからです。
この意味合いの重要さに気付く必要があります。
あなたのライフ (人生) がすべて、今の集大から成ることに。
ライフ (人生) が今この時でないことはありません。
過去を思い出すにしても、いま、なのです。
しかし、あたかも今が越えねばならぬ障害物であるかのように、人は生きています。
決して辿り着くことのない、もっとよい場所をめざして。
生きることが困難となる愚かな生き方です。
我々は数千年にわたり、このような生き方を条件付けてきました。
ある点で、思考能力とはすばらしいものです。
人間の概念化する能力ははるか昔に生じました。
これにより、人類は新たな次元を手にしたのです。
この能力により、地球上で最強の種となりました。
思考能力により、肉体としては劣勢でも、他のすべての種を征服できたのです。
人類の思考能力は緩やかに発達しました。
旧約の創世記にはアダムとイブの神話があります。
彼らは善悪を判断する知識の樹からりんごを食べました。
「これ」と「それ」の違いを分別する能力、分析し分ける能力は思考力によって生まれます。
能力は徐々に発達し、最初のうちは何も問題はありませんでした。
ところが何千年もの間に思考能力がますます拡大し、
人類は内なる本質とのつながりを失くしました。
それを being (存在) と呼ぶことができます。
生き生きとした感覚であり、より深い知性ともいえる
去来する思考を超えたものです。
こうして、思考習慣の増大により、徐々に深いレベルでのライフとのコネクションを失ったのです。
いまでは、頭が考える私たちのイメージが本当の私たちの姿だとみなされています。
人類は必要な進化を通ってきました。
それはアタマ (mind) のステージ、思考のステージと呼べます。
この間、思考によって完全に「憑かれた」状態でした。
ほとんどの人が、まるで思考を止めることができない状態です。
強圧的な力により、思考せずにいられないのです。
思考活動によって自分という感覚を得ています。
人類はいま、この進化過程の最後に到着しました。
その先に進むためには、
アタマ (mind) を越えて行く必要があるのです。
強圧的な思考に取り憑かれず、深い存在 (being) に下りて行く。
それは、1度失くしたものを取り戻すことと言えます。
失くしたものを取り戻した場合、より深い意識が伴うものです。
これが、私たち人類がいま通っているプロセスなのです。
なぜなら、人類の意識の進化変容は、もはや贅沢品でもオプションでもないからです。
人類史上初めて、意識の変容が生き残りのための不可欠な要素となったのです。
なぜなら、人類が日々、地球を害しているからです。
極端な言い方をするなら、本来パラダイスであるこの星に地獄を作り出しているのです。
質問者)
あなたはひとりで好きなことをすることが出来たのですよね?
しかし外に出て教えました。
どうしてですか?
教師となることを求められ、それに答えたのです。
教師になろうとか、なりたいとか思ったのではありません。
初めは個人的に人が相談に来るようになり、
私の話に興味を持ち、数回のセッションで内的シフトが起き始めました。
ですから、決意して教師になったのではなく、有機的にそうなっていたのです。
こうして、個人的な相談に乗ったり、時に少人数で集るようになりました。
それが数年続きました。
こうした個々の相談や小さな会合の内容は、私のノートに記録されました。
個人のセッションやミーティングで話したことは、私にも未知なものでしたから。
それらは、その場で質問されたことに対して、答として生まれたものだからです。
それでノートを取るようになり、何冊かのノートが溜まりました。
のちにこのノートが Power of Now という著書になりました。
Power of Now は、数年に渡る人々とのワークと、著書を書く段階で新たに追加された教えからなるものです。
質問者) あなたへのインタビューによれば、
数年間は何もしてなかったとあります。
その期間、あなたの人生はバランスを欠いていたのでしょうか?
変容が起きたあの夜から数年間は、外面的には何の変化もないかのようでした。
私は大学院に進みましたが、知的探求や分析的ワークには身が入らなくなりました。
外側の人生に残された惰性が、同様な生活を数年続けさせ、終りがきたのです。
ケンブリッジの大学院で学生兼教師をしていたとき、
突然終りがきたことがわかりました。
それで、そのままそこを立ち去ったのです。
その後2年間、ほとんど何もせず、住む家も持たず、あちこち歩きながら、暖かい日には公園のベンチで日がな1日過しました。
場所はロンドンでした。
私は、とても深い平安に包まれていました。
存在 (being) であることの単純な至福感というものなのでしょうか。
生きることのすばらしさを一瞬ごとに感じるのです。
未来への興味は消えてしまいました。
野心もなく、したいことがありませんでした。
外側から見たら、私の人生はバランスを欠いたように見えたでしょう。
存在 (being) であることに浸り、行動 (doing) には興味がなくなりました。
世の中で活動する能力を一時的に失くしたともいえますね。
世の中で活動する能力は少しずつ戻りました。
(終了)
- 2012/04/28(土) 02:24:28|
- エックハルト・トール
-
| トラックバック:0
-
次のページ